問題となった望月衣塑子さんのリツイート
望月衣塑子さんがリツイートした↑の情報は、フェイクニュースでした。
しかし望月衣塑子さんは訂正することも謝罪することもなく、無言でリツイートを消去してしまいます。
ちなみに池袋高齢者ドライバー暴走事故を起こした飯塚幸三さんと、安倍総理の元秘書である飯塚洋さんは親子関係ではないにも関わらず、断定してしまっているというのがデマの内容です。
この辺については、↓の記事に分かりやすく書かれていました。
まあ↑のバズフィードの記事も、望月衣塑子さんを取り上げないという点に不自然が残るものの、ハッキリとしたことは分からないのでコノ点については置いておきます。
望月衣塑子さんのフェイクニュース拡散は「今回に限った話ではない」というのも、ポイントかと思います。
私の知る限りでも、これまで少なくとも2度彼女はフェイクニュースを拡散しています。
詳細については↓をご覧ください。
望月衣塑子さんのリツイートに対する反応
いつも思うのですが、この手のフェイクツイートをいつもリツイートし拡散し続けている東京新聞の望月衣塑子記者って、一回か謝罪した事が有りますか?
【池袋暴走「息子は安倍首相の秘書」は誤情報 国会議員もブログを拡散、謝罪 】https://t.co/Iv9qnhlpam— 小野寺まさる (@onoderamasaru) May 4, 2019
柚木議員は、デマを拡散されたことを認め、謝罪訂正された。その国会議員にあるまじき軽率さは兎も角、後始末としては及第点。
問題は、散々デマをリツイートして拡散しながら、それを消去して知らん顔を決め込んでいる望月衣塑子記者。またやらかすぞこの調子ではな。https://t.co/88kapbMD5c
— キルゴアさん (@KilkilGoregore) May 3, 2019
望月衣塑子記者、どんな気持ちで「私も家族もデマ、フェイクニュースを流され迷惑しました」という人をリツイートしたのでしょう?
自分自身が飯塚洋氏とその家族のデマを拡散した、その数時間以内に。 pic.twitter.com/rSpFi0wxKJ
— 怠惰に暮らしたいトド (@tsukuru_ouu) May 3, 2019
やはり東京新聞の望月衣朔子記者がRTしていた「池袋暴走事件の加害者は息子がアベの秘書だから逮捕されない」という説がデマとは思えません。もしそうなら望月記者の菅官房長官に対する質問は伝聞に基づく事実無根の憶測ということになってしまいます。そんなことありえません。 pic.twitter.com/d2S95AybcL
— 全部アベのせいだBot(アベ晋三ではありません/I am not ABE) (@stop_abe_seiji) May 3, 2019
本当にこういう雑な仕事で平均年収以上の
年収をゲットできるイソコさんは羨ましいっすよ~┐(´д`)┌
国会前のデモにもたまに顔を出しますが、
北朝鮮の機関誌にも本人のインタビューが載るくらいですから(ryhttps://t.co/p4XGkrDQSp— Freeman (@freeobligation) May 4, 2019
望月衣塑子さんと柚木道義さんの対応の違い
↑のバズフィードの記事でも指摘されていましたが、実はこのフェイクニュースを拡散させたのは望月さんだけではありません。
衆議院議員の柚木さんも、その一人でした。
しかし彼はフェイクニュースを拡散してしまったことを認め、謝罪訂正をしています↓
以下のご指摘を頂きましたので、お詫びし、先のツイートは削除致します。
同時に引続き、池袋事故加害者の迅速公正な捜査を警察庁には強く求めます。ご指摘頂いた入院加害者の逮捕事案は調べればすぐありますし警察庁も認めています。逃亡、証拠隠滅の恐れなしも運用が恣意的な要素は否定できません。 https://t.co/nnlhRbbkyj— 柚木みちよし (@yunoki_m) May 2, 2019
一方望月さんの対応は、無言のままリツイートを消去というものでした。
こういう対応の差を見ても、望月さんの行為は記者としての責任感を欠いた悪質なものに私には見えます。
本サイトの他の記事にも書いてあるとおり、「明らかな間違いを訂正しないという行為は、もっとも悪質なものの1つだ」という考えを私は持っています。
確かに「無言のままなかったことにする」というのは、得な方法でもあるのです。少なくとも「短期的には」ですが。
ほとんどの人は誰がどんなフェイクニュースを拡散させたかなど、時間とともに忘れてしまいます。
それに望月さんの支持者も、このような行為によって離れてしまうことはあまりないでしょう。
しかしあくまで私の経験論ですが、このようなミスを認めていかないと、自分に対しての甘えが生じてしまうのではないかと感じます。
そして取り返しのつかないミスを犯すまで、繰り返し続ける可能性が高いのではないかと私は思うのです。
なのでミスを認めるという行為は、「自分自身のためにも」行う必要があるのではないかと考える次第です。