シュナムルさんのツイッターでの発言
正義なんてもともと相対的な概念ですからね。10人いれば10の正義がある。
— 冨永 格(たぬちん) (@tanutinn) August 23, 2019
正義は相対的ではないです。普遍性に厳然と差があるので。人権を尊重するという正義は、人権を尊重しない正義よりも普遍性があり、より正しい。例えば人権尊重とナチズムを等置するのは明らかに誤っているし、誤っていると言わなきゃいけない。それが人類が歴史から学んできたことです。
— シュナ (@chounamoul) August 23, 2019
シュナムルさんに対するツイッターでの反応
朝日新聞OBがうっかり「10人いれば10人の正義がありますからねぇ」とかぼやいてしまったせいで大炎上、リベラルさん必殺奥義、アブソリュート★ジャスティスの洗礼を浴びていて草 pic.twitter.com/Hq1Yzm69pv
— トイレスタンプ香りジェル (@Conscript1942) August 25, 2019
どう考えても「10人いれば10通りの正義がある」ってのはリベラルと呼ばれる人達が一番主張していたことではないんだろうか????
というか言論の自由というか民主的国家の基本なんだよぇ。最近のリベラルって言論の自由を潰しに来るんで怖い。 https://t.co/rkxweP6vXS
— もへもへ (@gerogeroR) August 25, 2019
この21世紀に絶対的な正義とか公共の場で言ってる大人がいるのに驚き。
人類が歴史から学んできたのは「正義の名の下に」ある時に人は最も残酷になるって事。そして正義では無く法による支配が優れているという事。
ま、ドラゴン紫龍だけは「正義とは不変のもの」と言う資格が有ると思うけどね。 https://t.co/5KpnSNvA50
— 宮寺達也 (@miyaderatatsuya) August 25, 2019
「絶対的正義というものがある(そしてそれは私が決める)」という人間をいったいどういう教育をすれば生めるのか興味がある https://t.co/jsppmlU0W0
— ほうがくともどき (@student_lawjpn) August 25, 2019
正義の指南書の古典、ブッダ様の経典読んでも、キリスト様の聖書読んでも、倫理や道徳は他人じゃなく自分に課すものだとしか読み取れないところですが、ニューカマーな方々の考え方は違うようですね‥。
まあ、法治国家で課されるものは(実態はさておき)公式には法だけでしょうから‥。— かも (@R3000C) August 25, 2019
シィナムル理論に従えばシュナムルさんが正義に決まってるじゃないですかぁ!(゚∀゚) pic.twitter.com/vmIgx7ep7n
— フラウフェン@ジョー (@hz2uHyoP7hTW9Pk) August 25, 2019
シュナムルさんのツイートに対する私の感想
↑の「ツイッターでの反応」にある「シュナムル理論」とはこのツイートのことですね↓
経験上、俺の考えとほかの皆の考えが対立する場合、だいたい俺が正しい。
— シュナ (@chounamoul) April 30, 2019
今回のツイートには、シュナムルさんを始めリベラルの方々がよく言う「多様性」が如実に出ていると思います。
一見「多様性」と言われると、色んな正義があると思うじゃないですか。
例えば宗教なら、キリスト教と仏教はもちろん違うけれども、どちらも正義だよねとなる感じです。
でもリベラルの多様性って、どちらかと言えば宗教ではなく宗派なんですよね。
仏教で言う、天台宗や真言宗みたいな話です。
天台宗と真言宗なら「仏教同士だし多様性を認めよう」という話になるけれど、「キリスト教?あんなの正義じゃない」と仏教徒が言うような感じです(あくまでたとえです。実際の話ではありません)。
つまりつまり、リベラルはリベラルの中での多様性しか保証しないということです。
しかしそもそもの「リベラル」の概念がしっかり定まっておらず、ふわっとしたままなので、いざ話が煮詰まってくると内部で大揉めという流れもあったりと。
宗教なら教典や戒律があるんですけどね。
でもそんな宗教ですらブレブレになってしまったりするのだから、リベラリズムなど況やをやという話ではないでしょうかね。
まあ、知らんけど。
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