俵才記さんのツイッターでの発言
生まれてくる時も場所も
自分では選べません
たまたま日本に生まれ
日本人だという
服を着せられただけです
それなのに
日本人であることを
誇りに思う
という人がいます
自分で勝ち取ったもの
ではないのに
それ以外に誇れるものが
ないのでしょうか?— 俵 才記 (@nogutiya) August 9, 2019
俵才記さんに対するツイッターでの反論
>日本人であることを
>誇りに思う
>という人がいます>それ以外に誇れるものが
>ないのでしょうか?たとえ、なかったら何だと言うんだ?
「あら、恥ずかしい」とで嘲笑いたいのか。
その人が、なにを心の拠り所するかは全く自由であり、奪う権利なんて誰にもない。https://t.co/m2GjT2BFEy— 名古屋県にならにょ (@niwakaha) August 11, 2019
自分を生んでくれた両親も
自分が育てた子供も
たまたま私の親であり
子供で有るわけだが
感謝もし誇りに思うこともある
自分が勝ち取ったものでは無いが
この奇跡に感謝し
誇りに思うことが
私の幸せのひとつでもある。 https://t.co/ZRpjJt7076— paxil manX (@PaxilManX) August 10, 2019
俵才記さんのツイートに対する私の感想
「たまたま得たものを誇りに思う=他に誇れるものがない」というのは、どういう理屈なんでしょうね。
そんなこと言ったら、両親を誇りに思う人は他に誇れるものがないことになるし、容姿を誇りに思う人も他に誇れるものがないことになる。
ちょっと考えただけでも分かることだと思うのですが、どうなのでしょうか。